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過保護ってどうなの?「過保護のカホコ」を見返して思うこと

pocoの子育て

先日、娘のなぁんにも予定のない休日を共に過ごした。一日中ゴロゴロしてAmazonprimeでドラマや映画をみて過ごした。

最近アマプラでは一つのドラマやアニメがみ終わると勝手に次のドラマが始まるのだ。そこで始まったのが「過保護のカホコ」。

そうそう!家族で見たよね〜

なぁんて言いながらドラマの世界へ入り込んでいった。

後で調べてみると「過保護のカホコ」は2017年にスタートしたドラマだった。

2017年は既に母と娘3人の4人家族になっていたな…。もっと前のドラマな気がしたけど、意外と最近なのか…。

その頃の我が家の背景は長女が大学生、末っ子が中学生だ。このドラマの印象は正直そんなになくて、ただただ、過保護に育てられた女の子が成長していくストーリーとして楽しく拝見させてもらっていた。

このママはやりすぎよね〜!とか

服くらい自分で決めれるよー!とか

お小遣いめっちゃ羨ましい♡いいなぁ…とか

ドラマ自体もコメディ感もあって面白いドラマとして家族で見ていた。

あれから7年。。。

もう一度見た「過保護のカホコ」は涙の止まらない「愛」に溢れたストーリーだったことに気付かされた。

そう。このドラマを見ながら毎回涙を流していたのだった。

7年前はママ(黒木瞳演)が余りにもの過保護さに腹立たしさも感じていたのだ。それが、今回はの気持ちもわかるな。。。と、本当に大切で娘に幸せになって欲しいと思う気持ち。子育て真っ只中にいた私には「それは違うよ!子ども達の自主性を育てないと!」と少し腹立たしく、何故か上から目線でダメな親と思っていた。

だけど、その裏にはどんな親も持っている自分の子どもに対する愛情があって、その表現の仕方が人それぞれあって、は過保護という形になってしまったけど、カホコ(高畑充希)の成長によって子離れする時がくる。

どんなに子どものことが心配でも24時間365日見守り続けることなんてできない。

親にできることは、子ども達が将来幸せに暮らして行けるように、そのために正しい選択ができるように、その子自身の本質を育てることなんだと改めて感じました。

そこで大切なことは「愛される」こと親や親戚から受けた無償の愛はその子の本質になって、時に困難にあった時も乗り越える力となるでしょう。

そして、苦労を知らず育てられた子どもは純粋で心が綺麗。カホコ(高畑充希)をみていて「そうなんだよね〜。」と改めて実感。

今回見た「過保護のカホコ」では親の立場から、妻の立場、娘の立場、おばあちゃんの立場と様々な立場から見ることができた。そして偶然にもも三姉妹!長女、次女、末娘…我が家にも三姉妹がいるので大人になった娘達の姿も想像したりしちゃって。

数年前に父(じぃじ)は亡くなり、それとほぼ同時に母(ばぁば)は認知症のためグループホームに入居することになってしまったけれど、父母が娘(孫)達にかけてくれた計り知れないくらいの愛情をドラマを通じてフラッシュバックし、自分自身本当に恵まれた環境で、愛されて育ったことを実感できました。

そして何より、初君(竹内涼真)の存在も大きいですね〜!

かっこいい♡こんな素敵な彼氏を連れてきたら安心だ!と思う反面、が反対するのも今では理解できます。

就職もしていない、「夢」を追いかける人。人としては素晴らしく魅力的だけど、生活となると金銭的にも苦労するのは目に見えている。無限の可能性もあるけれど、現実はそんなに甘くないのも知っている。

ちゃんの存在もいい!我が子も音楽を続けていたので、ちゃん(西尾マリ)の気持ちもわかる。子どもに音楽を続けされるのにどれほどお金がかかるか。ちゃんのように才能が認められると尚更だ。節は節で泉とは違う形で娘に愛情を注いでいる。

ラブラブ夫婦のちゃん(中島ひろ子)もカホコは普段目にしない夫婦の姿なのでカホコにとってはそれぞれが大きな存在だと思う。

そして、じぃじとはぁばの存在は子どもにとって大きいですね。親以上に?無償の愛を注いでくれる

我が祖母の名言「孫は責任がないから可愛い!ひ孫はもっと責任がないから更に可愛い」私にはまだ、孫がいないので分からないが、

そうなのか??

何かにつけこの言葉を思い出す。

我が子も年頃になり、それぞれパートナーを見つけて巣立つ時が来る。泉みたいには出来ないけれど、ばぁばのように愛する我が子を自分の命が尽きるまで愛情を注ぎ続け、見守っていけたらこんなに幸せなことはないだろう。

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