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大好きで大切な人に自分のことを分かって欲しい

pocoのつぶやき
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自分の気持ち

傷付くのが怖くて本当の気持ちを誰にもぶつけてこなかった

結局、思いが通じずに最後は傷付いてきた。

それでも平気なフリして笑うんだ。

気付いたんだ。どうせ傷付くなら真正面から向き合って自分を曝け出した方がいい。

相手と意見を交わして、ぶつかっても話し合えばいい。分かり合えなくても、自分の思いは伝えられるし、相手の思いや考えもわかる。

半世紀生きてきて今更って思う。

だけど、大切な人、大好きな人にほど自分のことは分かっていて欲しい。

こんな事言うと引かれるかな?

私のイメージじゃないよね…。

普通はこんな風に思わないかな?

相手が大切な人、大好きな人なら尚更「嫌われたくない」「失望されたくない」という思いから本音が言えなくなってしまう。

そんなこと、今まで経験してこなかった?

私はあるあるだ。

でも、それって何か寂しいよね

自分の考えや思いは言わないと届かない。届かなかったり、違った形で伝わったり…。

それなら自分の言葉で伝えた方がよくない?

だって、それが「私」だもん。

大切な人、大好きな人にはそんな「私」を受け入れて欲しいもんね。

家族

母は我慢の人だった。

嫌なことも我慢して、家族第一に動いてきた。

本当はもっと長年の友達と出かけたかったのに父が不機嫌になるから、誘いを断っていた。

祖父母の病院や食事の世話もきちんとこなしていた。

耐えて耐えて家族のために生きた。祖父母達を見送った後、認知症になった。

父はどう表現すると伝わるのか、気短でややこしい人だった。そんな父に母は苦労していた。それでも父なりに母のことを思っていたのだろう。「父なりに」という言葉を強調しておきたい。

まだ、認知症の半ばの母に「お母さんは幸せだった?」と聞いてみたことがある。母の答えは「今まで何不自由無く生活してこれたのはお父さんのおかげだろうから、、、幸せだったと思うよ。」

日頃は父の文句を言ったり、「離婚したかった」なんて何回聞いたことか。それでも生涯添い遂げた。

それが正解かどうかは分からないけど、そんな父母がいて今の私がいるのは事実で、私自身今までとても恵まれていたと思う。

兄は兄で思うことがあるだろう。

それでも、父だったら、母だったら、兄だったら、、、とそれぞれの考えや気持ちは分かる気がする。長年家族をしてきて、何も遠慮なく飾らずいれたからなんだろうな。

家族の距離感とはまた違うけど、そんな人間関係を築けたらどんなに素敵だろうと思う。

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